後藤 貴明。 武雄市の文化財-木造後藤貴明公像

このように、室町時代において後藤氏は隣接する渋江氏領である長島を兼領する勢いを示したのである。

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[経歴] 貴明は大村純前の庶子であったが、有馬晴純の子 大村純忠 が大村氏の跡継ぎになるに及び、天文14年 1545年 、後藤氏に養子に出された。

すなわち、建保六年(1218)の源披所領譲状案に「治承年中(1177~81)…墓崎地頭宗明」と見え、医王寺の薬師如来像の背面に「藤原宗明」の承安二年(1172)の像造銘が残されている。

東北平泉におけるの戦功により武雄の地を与えられたといわれ、末期以降、代々武雄の地を領してきた。

延元二年(1337)菊池氏の拳兵によって探題が軍勢を集めたとき、武雄神社に出兵を要請した古文書が残ることから、武雄地方の御家人も探題方についたのであろう。

115• 坂戸は河内国にあり、公則は河内守にも任ぜられ、章明の祖父則経も河内守であったことから、後藤氏は河内国と関係を持ち、ついには土着して在地豪族化していったものと思われる。

姉がいる? 後藤久美子さんは実は、 お姉さんとお兄さんがいるんですね~。

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