静か さや 岩 に しみ入る 蝉 の 声 意味。 「閑かさや」の句に秘められた真実 (2013年10月25日)
- (1)そもそも「閑さや」を「しづけさや」と読むのか、「しずかさや」と読むのか? 本やネットで調べましたところ、意見が半々に分かれておりますが、 どちらで読むのかでこの句のイメージが変わってしまうような気がします
- 同じ年に主人藤原良忠と一緒に 北村季吟の元に弟子入りをして、本格的に俳句の道を進んで行きます
- 港から舟をこぎ出すほどにだんだん海は暮れてきて、遠方は闇の中に沈んでゆく
- 使われているフォントもいいし、文字組みやレイアウトもいい
- 松尾芭蕉という名は、俳号になります
- たった一例から結論付けて良いものやら心配です
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- コラム ・ 推敲(すいこう) コラム ・ 推敲(すいこう) - 推敲(すいこう) - 推敲とは、詩や文章を作るとき、字句や表現をより適切にするために、よく吟味し練り直することを言います
- それほどの無の境地の中で、芭蕉は何を考えていたのでしょう
- それとも何かしらの公式な見解に基づいているのですか
- 芭蕉は旅の途中で見た情景や心情を数多くの俳句として残しています
- これはウイングレット(主翼端翼)といって、 主に長距離を就航する旅客機で採用されています
- その後に続く、「岩にしみ入る蝉の声」 余韻の中で味わう蝉の声を感じてください
- こうして二人の詩人の厚い交友が始まったのでした
- 注目したいのは、茂吉の主張をした点が、芭蕉が詠んだのが単体の蝉ではなく、群生するセミの鳴き声であり、その多くの蝉の声の聞こえる中での「閑さ」であったということです
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- 分厚い文庫のサイズ感といい、紙の手ざわりといい、日本語と英語、言葉と写真を交互に置く構成のリズムといい、「もの」としていい本だ
- 飛行機が、エンジンの推力と主翼から生まれる揚力から飛んでいるので、 主翼の上側は下方に比べ、気圧が低くなっていて 、これが揚力になって機体を上昇させています
- それらも根拠について触れているわけではないので、以上は4の自説ということになります
- 伝教大師が比叡山に灯した灯りを立石寺に分けたものを、 織田信長の焼き討ちで延暦寺を再建したときには 逆に立石寺から分けたという、 「不滅の法灯」を拝することが出来る
- 定説になっていることにも異論はありません
- これから考えると、「閑かさや」が定説化しているものと考えられます
- 斎藤茂吉はこれを評して、「その騒がしさの寂しさという捉えどころを語った時には、ひじょうに感心したが、『騒然としてさびしきものを』と言ってしまったのではつまらない」といったという記載があります
- 閑(しづか)さや岩にしみ入る蝉の声 俳聖・松尾芭蕉のことだから、閃(ひらめ)いた瞬間、さっと出来あがったものだとばかり思っていたのですが、俳人・小島健さんの著書『いまさら聞けない俳句の基本Q&A』(飯塚書店、2008年8月第一刷発行)を読んで、推敲に推敲を重ねて出来上がった句だったことを知ったのでした
- 閑(しずか)さや岩にしみ入(い)る蝉(せみ)の声 松尾芭蕉が山形県の立石寺(りっしゃくじ)で詠んだこの句は、『おくのほそ道』の中で大きな意義を持っていると俳人の長谷川櫂(はせがわ・かい)氏は言う