子どもたちはまさに「誰も知らない」状況で生き、「自分で自分を証明できないこと」に葛藤を抱きながら暮らしているのである | 紗希が途中でやったように尊厳を無視した施しを与えるでもなく、大家のように関わらないようにするでもなく、彼らの異常性を受け入れた上で、少しだけ手助けをするのがいいということだったのかもしれません |
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しかも、その人間そのままの姿から自然に発生したかのように見えるセリフや何気ない仕草は、「あの時のあれはこのことを意味していたのか!」と後で驚きを与える、物語上の伏線としても見事に機能している | これは賛否が分かれるところでしょうが、映画としては良かった気もしますね |
誰もしらないのラスト お兄ちゃんが出かけている時、4歳くらいの次女が誤って足を踏み外しイスから落ちてしまいます | コンビニの廃棄を貰い、水の入ったペットボトルを持ち歩いていることから、母親は帰っておらず、まだ極貧生活を続けていることがわかります |
助けの手を伸ばすことを知らない彼等はきっと、誰かが手を差し伸べてくれるまで、ギリギリの生活を続けていくのでしょう | 1988年4月、当時2歳の三女が死亡します |
懲役3年、執行猶予4年… | それは、一時の感情や理屈では語ることは出来ない |
さらに、母親は1985年(昭和60年)頃に次女、1986年(昭和61年)頃に三女と、次々と違う男性と性的関係を持ち、子供を出産しています | 三女の死の遠因となったといっても過言ではない」として、懲役3年、執行猶予4年(求刑懲役3年)の有罪判決 有罪の判決を受けたが執行猶予であった |
コンビニの店長は「夜中の2、3時に来たり、学校のある昼間の時間帯にもしばしば見かけたりするので、変だなあと思っていた」と話していた | そんな軽い罪で良かったのでしょうか? 誰も知らない 映画で母親を演じるのは、YOUさんです |
社会の汚れに染まらず生きてきて、母親も絶対的な存在だった | 観ていたあの時間、僕は自分の人生そのものを振り返っていました |
しかし、 明が衝動的に家を飛び出した間に妹の一人が誤ってベランダから落ち、 動かなくなっていた | 父親がそれぞれ違う異母兄弟 |
住んでいたのは2階で、1階には24時間営業のコンビニがあった | でもあるとき、気がついたのです |
今となっては巣鴨はすっかりお年寄りの集まる場所ですし、街並みもちょっと落ち着きすぎているところがあります。
) 一日、一日を噛み締めて生き、自分の命と他人の命に感謝することを考えさせられました。
だからこれは偉いとか言うことでもなく、ただ、ひたむきに運命を受け止めながら生きることの中にある美しさをうたった映画だと思います。
恐ろしいのは、このときの三人(とくに茂)が、ゆきが死ぬ直前よりも明らかに元気になっていることです。
4月21日昼頃、遊びに来ていた友達2人のうちの1人が前日に買っておいたカップめんがなくなっているのに気づいた。
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