みちのく の しのぶ も ぢ ずり。 福島県福島市 文知摺観音

臣籍降下により源姓を賜り、名は融。
融は、滞留期間が終わり都へと戻りました。 たれゆゑに 乱れそめにし われならなくに; 「誰」は不定称人代名詞。 その際、 源融は「皇統から言えば自分だって次帝候補だ」と名乗りを上げたが、「臣籍降下して再び皇位に 就いた例はない」との理屈で却下された(・・・のに、 光孝の息子は一旦臣籍降下して「 源定省」となった後、再度「 定省親王」となってから「 宇多天皇」として即位した・・・「日本のルール」というやつの 度し難き 恣意性を示す無数の例の一つである)。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・ 【なぜこの人】作者の源融は嵯峨天皇の皇子であるが、臣籍に下り源姓を賜わった。 。 残された虎女は融に一目会いたい一心で観音堂に願を掛け、文知摺石を麦草で磨き続ける。 もしかして「それはう~~んと若い、世の中のことも、男女の恋の諸訳も知らぬ少女かもしれない」と。
しかし都に戻るよう命を受けた融は再会を約してその地を去った 解説が少し脱線したようなのでこの辺で・・・おしまいとする
同時に「みちのく」 風土のはるけき遠さ、暗さのイメージと、「しのぶもみずり」の隠微な、解きほぐしがたい恋心の乱れを象徴するかの表現 「なら」は断定の助動詞「なり」の未然形
檜皮の宿は、福島県郡山市日和田町 あなた以外に誰がいよう
京六条の邸宅河原院に因み河原左大臣と称される それ聞いたらやってみたくなったんだよね
戊辰の役では官軍に敗れ、二本松少年隊の悲話とともに藩政も終焉を迎えた 虎女の願いは叶いませんでした
長らく中央勢力の及ばぬ唯一の場所、それがみちのくであり、その意味でみちのくはまさしく異国なのである ただ、そこに空疎を感じるのは現代的感性であって、「言葉遊びとしての和歌」が日常の社交の具として機能していた時代に、京都以外知らぬ 都人に対し「見知らぬ地方の不思議な風俗」を紹介する歌として(「恋模様」の軽いオマケ付きで)披露されたこの歌には、平安期ならではの存在の重みもきちんと伴ってはいたのだ(平成期にはもはや文芸的質量ゼロだとしても)・・・その客観的パースペクティブをきちんと有した上で、つまらない歌と断じて切り捨てるなら切り捨てる、古典の文法や背景事情を知るためのダシとして使うなら使う、と、各人各様にこの歌に対する態度を決めればそれでよかろう
源の姓をもらって皇族から離れる 乱れそめて久しい意

「われならなくに」の結句の終わり方は動詞ではなく、余韻を残す終わり方である。

「春日野の 若むらさきの すりごろも しのぶの乱れ かぎり知られず」 春日野の若い紫草のように美しいあなたたち、わたしの気持ちはこの紫のしのぶずりの衣のように、千々に乱れてしまいましたよ。

そして安積山(あさかやま)に小屋を作って姫を住まわせ、里に出て食べ物などを調達していたが、ある日、男が三、四日留守にしている時、山のたまり水にうつる我が身の衰えを見た姫君は絶望して死んでしまう。

その年でと笑うに当たらない。

信夫(しのぶ)は福島の旧郡名であり美しい言葉なので古来多くの人に愛好されて来た地名です。

この「乱れ」には、恋する女の黒髪の乱れが示唆されているという解釈もある。

そこでは叶えられない愛も叶うのではないか、身をよじるような激しい思いも存分に発散できるのではないかと。

河原左大臣の他の和歌 けふ桜しづくに我が身いざ濡れむ香ごめにさそふ風の来ぬまに(後撰56) 照る月をまさ木のつなによりかけてあかず別るる人をつながむ(後撰1081) ぬしやたれ問へどしら玉いはなくにさらばなべてやあはれと思はむ(古今873). 2)この頃私達の恋模様は少々乱れがち、以前のようにストレートに愛し合う関係じゃなくなってるみたい、って言うの?・・・うーん、でも、そうなったのは誰のせい?私のせいじゃないと思うんだけど(・・・だから、私の心変わりをなじるのは お門違いです) ・・・自分の心の軽さをなじって来た相手に対して、このように「あなたの方こそ、心変わりしてるんじゃない?」と切り返すのは、平安の世の貴人応答の典型的パターン(この後の『 小倉百人一首』の中にも幾つか見られますから、お探しあれ)。

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