足利 義教。 寝殿造 7.1.4 足利義教の室町殿

足利義教の暴挙の例を挙げるといとまがありません。 子: - 十男。 義持の死後に弟の義教が6代将軍となると、満祐は頭人に就任し、義教と満祐の関係は比較的良好であった。 軍事力に傾倒し、幕府の権威を高めていった 義教の政策は 「父・義満の時代のように将軍の絶対的地位を確立する」というもの。 その姿勢たるや極めて強硬で、瞬間湯沸かし器のような激怒エピソードに事欠かない人物でもありました。 おわりに 足利義教は、その12年間の統治で、従来の社会秩序をぶっこわした人です。 日本史史料研究会(監修)「足利義教(執筆・下川雅弘)、足利義嗣(執筆・平野明夫)」『室町幕府全将軍・管領列伝』平野明夫、星海社、2018年。 細川氏、斯波氏、山名氏、赤松氏などは幕府の要職に就くだけではなく、複数国の守護を兼任しており、経済的・軍事的にも強力な存在でした。 満祐は、管領細川持之に使者をつかわしたところ、その使者は斬られてしまいました。
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『彷徨える帝』(新潮社/新潮文庫/角川文庫、1994年)• なにぶん過去の歴史の話のため、その内容には諸説あるだけでなく、新たな発見によって内容ががらりと変更することもありますので、内容に誤り等がありましたら優しくご指摘いただければ嬉しいです。 今谷明『戦国大名と天皇』〈〉、2001年。 嘉吉元年(1441)6月24日のである。 くじ引きで将軍を決めたのは無用な内乱を避けるため 5代将軍義量に続き、義持までもが死んでしまえば、将軍家の跡取りはいよいよ路頭に迷ってしまう。 こうして1423年に義量は5代将軍となり、将軍家の血は義持の家系が継いでいくかのように見えた。 細川持春は片腕を斬り落とされ、正親町三条実雅は、献上された太刀をつかみ刃向うが、切られて卒倒している。 出典:いらすとや そこで義教は朝廷の権威を借りて 持氏を朝敵とする綸旨(りんじ、天皇の命令書)を出させて、関東の諸将に持氏討伐を命じたのです。
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